出雲社長の心中と自由論の精神を掛け合わせてみた
ユーグレナの出雲社長は、起業をするにあたって、自分が「フツー」の人であることを、
強調されています。
- 物質的に何不自由ない多摩ニュータウンの「ノーマルファミリー」で育ったこと
- 「有名進学校」→「東京大学」→「東京三菱銀行」というレールは、自信のなさの裏返し
- 起業をするにしても、10年間かけて35才くらいから、と「なんとなく」考えていたこと。
- 銀行を辞めてしまった後も、「ミドリムシ」の事業化について胸を張っていえなかったこと。
本書では、特に起業をしたことがないような人でも、
理解できると思われる心情が、たくさん記されています。
Rails and girders / boegh
幸福の要素としての個性
で、この心情は、「出雲社長だから」とか「今どきの若い日本人だから」という
理由ではなく、人間がもつ普遍的な性質なものだと、感じることあります。
その拠りどころは、ジョン・スチュアート・ミルの自由論 (日経BPクラシックス) 、
「第3章 幸福の要素としての個性」。
"慣習になっている以外には、自分の好みを何も思いつけなくなっているのである。精神まで、抑圧の軛(くびき)に屈している。娯楽のときですら、真っ先に考えるのは世の中に合わせることである。いつも大勢に順応していたいのだ"
(P135)
出雲社長自身は「抑圧の軛」に屈しているとは思いません。
ただ、「有名進学校」→「東京大学」→「東京三菱銀行」というレールに乗っていたのは、
世間の慣習に合わないことをするのに、ためらいを感じていたのでしょう。
「世界を救う」ビジョンについて
もちろん、出雲社長は株式会社ユーグレナを立ち上げて、かつて誰もなしえなかった
ミドリムシの培養を事業化させるなど、目に見える成果をすでに出されています。
しかし、それと同じくらいに「世間の軽蔑」の対象になりかねない、「世界を救う」という
ビジョンをはっきり言い切ってしまうところに、凄さを感じます。
以下の引用も自由論からです。
"現在の世論の動向には、個性を明確に発揮することにとくに不寛容になりやすい性格がある。ごく一般的な人は知性の水準がごく平凡なだけでなく、好みの点でもごく平凡である。何か普通とは違ったことを行おうとするほど強い趣味や望みは持っていない。このため、強い趣味や望みを持つ人が理解できず、こうした人はみな、粗野で乱暴だとして、軽蔑の対象にしている連中と同じに考える"
(P150 第3章 幸福の要素としての個性)
【関連エントリ】
僕はミドリムシで世界を救うことにきめました。
―― 東大初バイオベンチャー「ユーグレナ」のとんでもない挑戦
自由論(日経BPクラシックス)
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