2013年6月10日月曜日

自由論(日経BPクラシックス)

(一応)「当たり前のこと」しか書いていない本







自分で言うのも何ですが、どうしてこんな難しい本読んだんでしょ?
最初に開いたとき、「あちゃー」と思い、「やっぱりな…」と感じつづけ、
判読不明なところは、適当にとばしていっても、やはり難しい。



それでもとこどころはなんとなく分かるところもあるので、
それを拾い集めて、「一言感想文」でも書いてみようかと思います。
(ホントは、「一言」でカタがつくような内容ではないと思うが)






50銭札:板垣退助 小額政府紙幣 / k14





法律・経済・哲学・科学技術…何でも応用可





"人間が個人としてであれ、集団としてであれ、誰かの行動の自由に干渉するのが正当だといえるのはただひとつ、他人に危害が及ぶのを防ぐことを目的とする場合だけである"

(P26 第1章はじめに)


これって、民法の原則の「私的自治の原則」ってやつじゃね?



"このように、人間の判断の強みと価値はすべて、たったひとつの性格、間違っていたときにそれを正すことができるという性格に依存しているのだから、人間の判断に頼ることができるのは、間違いを正すための手段がつねに用意されているときだけである。”

(P49 第2章思想と言論の自由)


この考え方は現代社会の根幹をなす考え方やね。
三権分立(立法・行政・司法)や科学の証明、市場の原理(需要と供給の法則)など。



”第2章では、思想の形成と意見の発表について無条件の自由が確立されていることが人間にとって必要不可欠である理由を論じてきた。"

(P49 第3章幸福の要素としての個性)


ははぁ、日本国憲法が保障する「精神の自由」ってヤツですな。
管理人のように、普段ブログを書いている人間からすると、フォローの風が、
吹いているような気がします。



裏を返せば「精神の自由」の侵害については、それだけ厳しく裁判所が関与してくるということか。
たしか伊藤真の憲法入門 講義再現版第4版でも、そんなこと書いてあったよな…。





娑婆を経験した人ならわかる!






という感じで、読めるところだけでも拾い読みしてたら、
書いているの「現代の常識」みたいなことばっかりじゃないですか!(少なくとも建前上は)



そうそう、この文章を書いているうちに思い出しましたたけど、
このジョン・スチュアート・ミルの「自由論」って、
高校日本史の重要暗記事項じゃなかったですか?



明治初期の自由民権運動のところで、知識人の間で回し読みされたというのを、
授業で聞いたような気がする。「板垣死すとも、自由は死せず」の、アレかなぁ~?




やはり、単語を覚えてるだけじゃああんまり役に立たんなぁ。
社会科学の分野の学問って、高校生上がりよりも、社会経験をを積んだ人に
学習してもらう方がよくないですか?





【関連エントリ】


僕はミドリムシで世界を救うことにきめました。
 ―― 東大初バイオベンチャー「ユーグレナ」のとんでもない挑戦
隷属への道 ハイエク全集 I-別巻 【新装版】
伊藤真の憲法入門 講義再現版第4版




0 件のコメント:

コメントを投稿