「学校教育」とお仕事の関係について
こういうプレゼンテーションがあります↓
スガタ・ミトラ「クラウド上に学校を」
こちらのスガタ・ミトラさんは、自己学習システム「SOLE」による
教育革命を唱えていらっしゃいます。
サルマン・カーン「ビデオによる教育の再発明」
そしてこちらは、本書の著者のサルマン・カーンさん。カーン・アカデミーの創設者です。
プレゼンをしているところが、同じTEDなので、すごく似ているような気がします。
「何のために学校教育が登場したのか?」
中でも、酷似しているのが、最初の着眼点。2つのTEDの動画を見ているだけでは、
すぐには、分かりません。ミトラさんのプレゼンとカーンさんの本を読むと、
ピッタリ符合しているところがあります。
酷似しているといっても、おふた方がアイデアをパクリ合っているという意味ではありません。
人数としては、たった2人の人しか言ってないようなことですが、
世間の人がうすうすと思っているようなことを、代弁しているように感じます。
School children / Museum of Hartlepool
問題は大勢の人間が「食える」かどうか
そもそも、義務教育の象徴でもある、「学校教育」は、
いつごろ、どこで、何のために発生したのでしょうか?
おふたかたは、かつて近代ヨーロッパに存在した2つの国に起源を求めています。
- スガタ・ミトラさん→大英帝国方式
"学校は官僚行政マシンの歯車になるような人間を生産してきました。全員まったく同型の歯車にならなければなりません。(中略)全員同型ですから、例えばニュージーランドから1人を選んでカナダへ送っても、すぐに適応することができます。"
(1:50ごろ)
- サルマン・カーンさん→プロイセンモデル
"ねらいは、自分の頭で考えられる人間を育てることではなく、忠実で従順な市民を次々と生み出すことにありました。両親や教師、教会、そして王の権威に従うことがいかに大切かを知りなさいと。"
"生徒たちに所定のカリキュラム以上のことを考えさせたり、異端の危険思想を話し合う時間を持たせたりしては断じてならない。チャイムが鳴ったら有無を言わさず会話や思考を中断させ、予定された次の回へ進ませる。秩序が好奇心にまさり、規律が個人の主体性に優先する - というわけです。"
(P82~83 プロイセン・モデル)
言い換えれば、おふた方とも、「学校教育」は「大量生産の機械部品をつくるところ」、
と言いたいわけですな。もちろん「大量生産の機械部品」が、良いかどうかの
価値観を論じるつもりはありません。社会には、それが必要な部門があるでしょうし。
ただ気にになるのは、それで大勢の人間が「食っていけるか?」ということ。
ミトラさんは、それについて、このようにおっしゃってます。
"我々が知る「学校」というのものは時代遅れなのです。学校は「崩壊」したわけではありません。よく「学校崩壊」というのがよく言われていますが、崩壊はしていません。造りはちゃんとしています。ただもう古くて使い物にならないのです"
(3:09ごろ)
「学校教育」とこれからの仕事をつなげてみれば、非常に興味深いテーマです。
【関連エントリ】
世界はひとつの教室 「学び×テクノロジー」が起こすイノベーション(予告編)
【参考文献】
リンダ・グラッドン
ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉 プレジデント社
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