「個人の自由」のための日本国憲法
管理人が中学生のときの社会科の授業は、学年ごとに、次のように学習したような気がします。
- 中学1年→地理
- 中学2年→歴史
- 中学3年→公民
個人的に、社会科全般が好きだったので、授業は3年間しっかり聞いたつもりです。
そのせいか、本書で日本国憲法に「入門」すると、軽い驚きを感じました。
女子中学生3人、多分 / fukapon
自由がメイン、国家統治はサブ
「第1章 憲法総論」では、「個人の自由」を尊重するための、
日本国憲法の特質が説明されています(P52)
- 自由の基礎法
- 制限規範性
- 最高規範性
中学三年の授業を思い返すと、1.のことなんか、「学習したっけ?」という感じです。
確かに、「議院内閣制」や「三権分立」など、国家統治の内容は、詳しく聞かされた
記憶が残っているんですが。
しかし、それらは「個人の自由」という憲法の趣旨を実現するための、
手段にすぎないというのは、本書を読んではじめて知ったような気がします。
憲法に対して義務と責任を負うのは誰か?
本書を読んでいて、もう一つ気がついたことがあります。
それは、「誰が憲法を守るのか?」ということです。
著者も言われるように、実は、日本国憲法は、
「日本国民が守らなければならない」ということは、一言も書かれていません!
- 日本国憲法 第99条
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、
この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」
"さて憲法自身は、誰に対して憲法を守れと言っていますか?条文をよく読んでみてください。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」に守れ、と言っているでしょう。「公務員」とはまさに国家権力の担い手の側の人たちのことです。ここに「国民」は入っていません。国民に憲法を守れとは一言も言ってないのです"
(P31 「第1章 憲法総論」より)
以前、どこかで日本国憲法の規定は、国家が国民に対して、義務を負うだけの
「片務的な契約」であると読んだことがあります。
このことは民法の売買契約のように、売手と買手の双方に義務が生じる、
「双務的な契約」と比較すると、その特質が分かりやすくなります。
⇒、⇔は義務を負う方向性を表しています。
- 日本国憲法
「片務的な契約」: 国家 ⇒ 国民
- 民法の売買契約
「双務的な契約」 : 売手 ⇔ 買手
日本国憲法とハイエク
憲法について、普段は空気と同じであまりその存在価値に気がつくことはありません
(そんなことは管理人だけかもしれませんが)。
ですが、経済学についての本を読んでいると、たいていは
そのエッセンスが、日本国憲法の趣旨と通じているような気がします。
【参考文献】であげた本の著者である、フリードリヒ・ハイエクも、
「個人の自由」の尊重という大変重視する人物のようです。
次はこの本の感想文にチャレンジしてみます!
【関連エントリ】
自由論(日経BPクラシックス)
私のマルクス
【参考文献】
フリードリヒ・ハイエク 市場・知識・自由―自由主義の経済思想 ミネルヴァ書房
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