2013年4月3日水曜日

戦前昭和の国家構想

資源配分を決めるのは市場か?国家か?









戦前の日本で、社会の資源を「公益優先」で使ったら、国民生活がどうなるかが、
述べられています。ここでいう「公益優先」というのは、
「国家目的に副ったことを先にやる云ふ意味(P207)」です。



先日の感想文で隷属の道は、市場の価格システムを無視して、
人為的に資源を分配するとヨーロッパ大陸においてどうなるかということが、
つらつらと書かれていました。本書はそれの日本バージョンです。





White Collar, c. 1940 - Linocuts by Giacomo G. Patri / Thomas Shahan 3





生活の優先事項を決められるのは誰か?





「公益優先」経済を統制すれば国民生活はどうなるか?という言い方もできます。
本書によると、国民生活の細部にまで、国家が介入してきた様子が書かれています。



  • 結婚式で「派手」な披露宴は控える。近親者に茶菓子を出す程度に(P205)
  • 「ドライブ」目的の自動車使用の抑制(P204)
  • 「不急不要」の電力使用の制限(P205)



要するに国策遂行の名のもとに、国民生活を平準化するというのが、
戦前昭和の国家構想だったようです。しかし本書を読み進めると、
国家による国民生活の平準化は、決してできなかったようです。



そもそも、「派手」とか「ドライブ」とか「不要不急」ということを、人間の裁量で決めようとすれば、
恐ろしく手間がかかる上に、不平不満が必ず発生するでしょう。




統制経済の結果は…





経済学のテキストでは、防衛・治安・外交など、受益者が特定できない
特殊なものをのぞいて、ほとんどの財・サービスの取引は、市場取引に任せよと書かれています。
少数の「計画者」に任せることは、統制経済として次のような望ましくないことが発生します。



  • 慢性的な供給不足
  • 非効率な配分
  • 資源の浪費
  • ブラックマーケットの発生



国民生活の平準化と言われると、受け取る人によってどんな解釈も可能ですが、
当時の日本国民はかなり当惑していたようです。


"和歌山では米の配給が1日二合である。これでは足りない。不足を補うために、「甘藷、馬鈴薯、或は麺類等、代用品を獲得することに日夜奔走努力」している。ところが他県(米生産県)では余っており、一日ひとり三合以上の所がある。”


(P209「Ⅳ国家社会主義」)



【関連エントリ】


1940年体制 さらば戦時経済増補版
隷属への道 ハイエク全集 I-別巻 【新装版】










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