真の教養について~「山形トーク」炸裂す!
「人間には教養が必要」。一般的になんとなく通用しそうな表現です。
それでは、その表現に「何のために必要か?」という問いかけを行った上、
著者の山形浩生さんの前で、その理由について、
「日本の固有の文化を守るためぇぇぇ、★○▼□※♪!~」
とか
「真理の追求のためにぃぃぃ、うんぬんかんぬん~」
などと、分かったような口ぶりで理由を、管理人が述べたとします。
多分、「そんな奴は呪われて死ねばいい」と、バッサリ斬られてしまうでしょう(P204)。
Google translate / kimubert
教養はメシの種なんです!
山形さんの教養に対する考え方は、とっっっても明確です。
小・中学生に押し付けがましく、「おブンガク」や「おゲージュツ」を迫るようなものはダメ。
といって「価値観の多様化」とか「のびのびと大らかに」とかいって、
ハナから教育や訓練を放棄してるのはもっとダメ。
山形さんが、おっしゃりたい真意について「コレ!」と言ってしまうのは、
いろいろな意味で「恐れ多い」のですが、多分この辺にあるかと↓
"教養というものは、本来ずっとずっと実用的なものだ。さっきも言ったように、教養って価値判断のベースになるものだもの。そして世の中の「商売」と呼ばれているもの、ビジネスと称するものはすべて、この価値判断のかたまりじゃあございませんか"
(「プロローグ 心ときめくミームたちを求めて」P30)
要するにビジネスですよ、び・じ・ね・す!
日本語で、「しょうばい」のためと言った方が、直感的で分かりやすいのかもしれません。
最高の感覚・「フにおちる」
では「しょうばい」における教養には、どんな効用があるでしょうか?
- 取引先のエライさんとお話を合わせられる
- 合コンで女子(または男子)にモテたりする
- 職場などで年下の後輩から尊敬のまなざしで見られる
など、まず「外部的な」効用が考えられます。
しかし本質的な効用は、目に見えない「内部的な」ところにあります。
管理人が言う「内部的な」とは、おもしろくておもしろくて、
おカネと交換しても惜しくない、というような感覚のことを、指しています。
「プロローグ」で山形さんは、その感覚について次のように説明されています。
"それはたとえば、「あ、わかった!」という楽しみでもある。ふむふむというおもしろさでもある。具体化の納得もあれば、抽象化のわくわくだってある。急に見通しがよくなる爽快感、全然関係なかったものが、なんかいきなり結びついてしまった不思議だってある"
(「プロローグ 心ときめくミームたちを求めて」P45)
【参考文献】に挙げた本は、まだ読んでいませんが、これも教養のためになりそうです(笑)
【関連エントリ】
山形道場 社会ケイザイの迷妄に喝!
訳者解説 新教養主義宣言リターンズ
【参考文献】
山形浩生 訳者解説 -新教養主義宣言リターンズ- (木星叢書)
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