2013年2月16日土曜日

私のマルクス

「知の巨人」の学生時代



私のマルクス




先日、佐藤優さんが書いた、神学部とは何か 非キリスト教徒にとっての神学入門という
記事を書きました。本書は、その佐藤さんのキリスト教やマルクス主義に関する
思想的自叙伝について、さらに切り込んだ内容ですです。



主に、出身校の埼玉県立浦和高校と、同志社大学神学部時代の回想が、記されています。
分量的には高校時代が3、大学時代が6、あとがきが1というところでしょうか。
非常に深い思索が、述べられています。



管理人はマルクス主義にもキリスト教神学にも、素養がありませんので、
佐藤さんの真意は、汲み取れませんでした。



しかし小説風に語られる同志社大学神学部の風景を頼りにして読み継いでいると、
「なんとなく」全文を読み通せてしまいました。



(管理人はん京都の大学に通っていたので、「河原町」とか「木屋町」とかいう地名に
どうしても反応する。佐藤さんは学生時代から相当「いける口」であったらしい)





At 阪急 河原町駅 (Kawaramachi Sta.) / shinji_w




意外にも豊かだった社会主義!?





本書を読んで、感想文を書こうと思ったのは、何も京都の地名やバーに親近感を
覚えたからだけではありません。真意は汲み取れないながらも、個人的に
残しておきたい引用が何か所かあったからです。



  • グラーシュ型社会主義について

"当時(1975年頃)のハンガリーの社会主義路線は「グラーシュ型社会主義」と言われていた。対外政策やイデオロギーではソ連の公式路線には逆らわないが、いつでも国民が肉の一杯入ったグラーシュ(シチュー)を食べ、日常生活面での豊かさを保証するのが、カーダール・ヤーノーシュ・ハンガリー社会主義労働者党(共産党)第一書記の方針だった"

(「3 やぶにらみのマルクス像」P73)


崩壊前のソビエト連邦の映像を見ると、「社会主義=パンを買うにも行列」というイメージを
思いだすのですが、この説明はかなり意外でした。



グラーシュ型社会主義というのは、国民を日常生活に満足させて、
 政治について不平不満を持たせないようにする政策です。
このような政策は、当時のハンガリーだけではなく、ポーランドでも常識だったようです。




官僚と国家 その本質と使命について




冒頭で述べたように、本文中の内容が、かなり難解だったので、
とりあえず「あとがき(口語調の講演録)」を一生懸命読みました。



  • 官僚の本質と使命について

"官僚は一つの階級を構成し、社会のそれ以外の階級から収奪している存在です。(中略)その官僚階級が糊口をしのぐカネは、どこから来ているか。国民から収奪しているわけです。官僚は、本質において社会に寄生しないと生きていくことができません"

(文庫版のためのあとがきにかえて 講演録 P389)



国家の官僚になることは、まともな社会人になることではないと断った上で、
官僚が存在する意義は、暴力を独占する国家が、他の国家の暴力から
社会を守る役割を果たすからだ、としています。



経済学のテキストを見ていると防衛(軍事)サービスは、外交サービスと並んで、
国家による独占が認めてられている、例外的なサービスです。



外交官出身の佐藤さんが、このようにおっしゃると、なるほど納得します。
ちなみに似た感じのことは、伊藤先生の憲法講義でも、強調されていたと思います。




【関連エントリ】


伊藤真の憲法入門 講義再現版第4版
神学部とは何か 非キリスト教徒にとっての神学入門



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