2013年2月9日土曜日

プラチナデータ

国家による「管理」はありうるか?







管理人は、ふだん小説を読みません。
何せ、本の読み方からして、小説向きの読み方ではありません。



「前から後ろ」に読むという、基本的な本の読み方をしないからです
(集中力がないから、読めないという理由もあるが)。



本を手に取ると、大体、次のような順番で読んでいきます。
「はじめに」→「おわりに」→「目次」→「後の章」→「前の章」



さらに、外国人の方が、書いた本の場合、「訳者あとがき」を一番最初に読みます。
また、「本文」にしても各章各節の「後ろから前へ」読みます。
要するに、「この人は何を言いたいのか?」ということを、少しでも早くつかみたいからです。





DNA / Victor Svensson




「管理」システムは誰の手に?




従って、小説家の方の名前や、その文章の特徴も、よく知りません。
東野圭吾さんが、小説家であることは知っていましたが、
どんな文章を書かれる方であるかは、見当もつきませんでした。



ネタバレしない程度に、話の大筋を言うと、
「人間のDNAと検索システムをめぐる攻防戦」というところでしょうか?



遺伝子情報と検索システムが、誰の手にあり、どこに隠されているのかという描写については、
小説慣れしていない管理人にも分かりやすく、スリリングだったと思います。
管理人にしては、「前から後ろ」に読んで、最後まで読み通せました。




「管理」されたらどうなるか?





話の展開として、遺伝子情報と検索システムの管理について
国家があからさまに関与しています。本文中でも、国民が、「生理的に気持ち悪い」ということで、
ブーイングをあげている場面があります(あくまで話の中で)。



その気持ちは、よく分かります。管理人が、本書でエキストラ出演させてもらうならば、
「社会の退化を招くからやめてくれ」と言うと思います。それは、次の2つの理由によるものです




詳細をお知りになりたい方は、【関連エントリ】までぜひどうぞ!。
もしくは、最後まで読みとおして、「プラチナデータ」に込められた意味を、探ってみましょう(笑)




【関連エントリ】


市場・知識・自由-自由主義の経済思想





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