2013年2月24日日曜日

過剰と破壊の経済学 「ムーアの法則」で何が変わるのか?

体育の授業から「ムーアの法則」を眺める



過剰と破壊の経済学 「ムーアの法則」で何が変わるのか?



この記事を読んでくださった読者の方は、中学校の体育の授業では、
どんなスポーツをされたいたでしょうか?


  • サッカー
  • 水泳
  • ソフトボール
  • バスケットボール

etc…etc…



管理人が通っていた公立中学校でも、これらの競技を行いました。しかし、中学1年の
1学期の授業には、辟易しました。なんと、学期間まるまる「行進練習」だったからです。




「太平洋戦争が終わって40年以上するのに、なぜ軍事教練?」




と、当時はぼんやり思っていましたが、最近になって理由が分かってきました。
要は、「上意下達のシステム」を徹底させるためであると。






マーチングバンド

1005_0179 / genbasu



軍隊の「兵士」と学校の「生徒」





別に、中学校で軍事教練をすることの、是非を考えたい訳ではありません。
思考や行動様式は、1940年代も1980年代も大して変わらん、ということを言いたかったのです。



  • 士官 → 兵士(1940年代)
  • 先生 → 生徒(1980年代)



なるほど「行進練習(軍事教練)」において、先生(士官)の指示に、
生徒(兵士)は逆らえません。20世紀の大規模製造業や軍隊のように、
「決められた時間・場所」「大量の規格品」を送り届けるような
「型」を身につけさせるには、なかなか合理的な授業だったと思います。





「兵士」の役割が人間から半導体に





本書のテーマはズバリ、「ムーアの法則」で、何が変わるのか?ということですが、
結論を言えば、次の通り。半導体の価格が、億単位で下がり、「兵士」の役割を
人間にさせる必要が、なくなってきています。



"既存の権威や肩書きが意味を失ってすべての個人が対等に競争し、情報処理能力による所得格差が拡大する孤独な世界である"

(「終章 孤独な世界の中で」P204)



冒頭の部分に引っ掛けると、情報処理の方向性が、「逆流」するわけですな。




  • 士官  兵士(2010年代ぐらい)
  • 先生  生徒(2010年代ぐらい)



ついでに著者の池田さんは、放送業界(NHK)出身の方です。
そのせいか、情報処理の流れについて、放送局と一般市民の関係を捉えて、




  • YouTube ← 一般市民(2010年代ぐらい)



という具合になることも示されています(本書の出版は2007年)
最近、YouTubeで「メシを食っている」方たちも、いらっしゃることを考えれば、
なるほど納得の一冊です。




【関連エントリ】


半導体衰退の原因と生き残りの鍵
組織の限界






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