2013年1月9日水曜日

高杉晋作の「革命日記」

高杉晋作の「日常blog」



高杉晋作の「革命日記」


高杉晋作と聞くと、「明治維新の英雄」とか「長州藩の麒麟児」など
華々しいイメージがあります。



後世のテレビドラマなどで、他の幕末の志士や明治維新の元勲との交友が描かれていたり、
武士と庶民の混成部隊である、奇兵隊を創設して、幕府軍を敗走させたなど、
何かと「絵」になる活躍をしたからでしょう。



しかし、本書を読むと、そんな「英雄」でも、大半はいたって、
フツーの生活をしていたことが分かります。



何せ、晋作の高杉家は、代々、馬廻りで400石取りの家柄。
身分が固定されている世の中にあって、才能があれば家老にまで昇格できる、
いわば「いいとこのおぼっちゃん」です。





高杉晋作誕生地 (11) / Kuruman



高杉晋作の「blog分類」



本書で紹介されている、晋作の日記は、主に3つに分類されます。

  1. 留学日誌→「東帆録」・「試撃行日譜」・「遊清五録」
  2. 勤務日誌→「せつ御日誌」・「初番手行日誌」
  3. 獄中日誌→「投獄文記」

留学日誌の「東帆録」は、海軍の機関科見習い士官としての修行日記です。
また「試撃行日譜」は、剣術修行のために、主に東日本を廻国した日記です。



当然、移動は、船か徒歩か馬なので、一日の記録を見ても、地名や宿場名しかのってません。
事実だけが述べられいて、けっこう淡々とした内容です。この内容では、ブログにのせても、
アクセス数は、それほど稼げないと思います(笑)



勤務日誌は、長州藩の若殿様(毛利定広)にお側近くに使えた記録です。
こちらの内容も、ハッキリ言って、「地味」です。上役や先輩から、
仕事の作法を教えてもらったり、病気の同僚を見舞ったりした事実を、やはり淡々と述べています。



「せつ御日誌」・「初番手行日誌」は、現代風に言うと、日記(blog)というよりも、
つぶやき(twitter)に近いかもしれません。



高杉晋作の「上海blog」




かなりの「高杉晋作マニア」でないと、読み続けるのは辛いと思いながら読んでいると、
「遊清五録」のところに出ました。



それまでは、あまりに個人的すぎて、高杉晋作のリアル友達しか、
分からないような内容でしたが、ここから、日記の書きかたが、ガラッと変わります。
「外国人」として留学先の上海の様子や、晋作自身の考えが、セットで述べられているからです。


  • 外国の水が合わず、日本人水夫が次々と死んでいくさま
  • 太平天国の乱で英仏の兵力を借りたため、孔子廟が外国兵の宿舎になっている※1
  • イギリス軍が所有していた「元込め式」のアームストロング砲のスケッチ※2

※1 このころの武士の素養は儒教であり、晋作も小さい時から孔子が「神様」として、教えられていた。そのため、孔子廟が外国兵の寝起きに使われている様は、見るに堪えなかった。
※2 先日、NHK大河ドラマ・「八重の桜」の第1回目で、会津藩が軍事演習を行うシーンがあった。このとき使われていた、大砲は「先込め式」(弾を筒先から装填し棒で固定する。火縄銃と同じ)だったと思う。


のちに晋作が、英雄視されるようになった原体験は、
やはり、清への留学にあったことがうかがえます。この辺りをブログにのせていたら、
けっこうアクセス数が稼げて、倒幕がもっと早くできたかもしれません(笑)



ちなみに獄中記は、管理人自身が、当時の複雑な長州藩の政情を
よく理解していないため、今イチ、ピンときませんでした。
晋作は、どうも政変に巻き込まれて、罪人扱いされてたみたいです。



いわれもない理由で投獄されたせいか、かなりグチが多く、その気持ちを漢詩に表しています。
幕末の日本史と漢詩の素養がないと、晋作の気持ちをはかるのは難しいかと。
やはり、個人的には、留学日誌をおすすめします!





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