ブラック企業は労働だけの問題か?
部分的には、「なるほど!鋭い」と思って、賛成するところも、多々あります。
- 日本の労働法制(労働基準法、労働安全衛生法、雇用保険法など)についての教育
- 労働契約の内容に関する教育
- 労働基準監督署・社会保険労務士・弁護士など「労働カウンセラー」の利用の仕方
- 戦前・戦中・戦後にかけての日本の産業変遷
(おおむね)今の学校は、サラリーマン予備軍を育成しているようなものなので、
これらのことは、普通科であろうが、商業科であろうが、理数科であろうが、
高等学校卒業するまでに、全員必修で単位を取るべきだと、個人的には考えております。
Demo / skuds
労働以外で生きる方法を
本書では、新書サイズということもあって、労働問題に終始しています。
それはそれで、意義があることだと思います。ですが意識が労働問題にしかない
ところが、残念です
タイトルにある「違法労働」やブラック企業をなくそうとすれば、
他のさまざまな要因をも、一つ一つ、つぶしていくことが必要だと考えます。
- 米・小麦の輸入規制の緩和→主食物が安くなる→生活費が安くなる→実質賃金がUP
- 国内インフラサービスの競争→光熱費が安くなる→生活費が安くなる→実質賃金がUP
- 公的年金の支給開始年齢の引き上げ→若年者の国民負担が減る→可処分所得がUP
- 教育の拡充→人的資本の向上→土地・資本に対して要素所得の分配割合がUP
デフレのときは「権利」!でもインフレのときは…?
本書の後半部分を読んでいると、さかんに「権利」とか「中間集団の構成」、
「最低賃金の引き上げ」などが謳われています。
これ自体否定するつもりはありませんが、あまり「権利」にこだわりすぎると、
かえって身動きが取れなくなるよう気がします。
例えば賃金の額を「権利」としてを定めても、インフレなどでお金の価値が、
下がってしまうと、どうなるでしょう?
固定された賃金額では、変動する生活水準を維持することが難しくなります。
かつて幕末期にインフレが起こり、生活が苦しくなったのは、
名目的な俸禄米を支給されていた、中・上級武士や、成長の止まった商家であったと聞きます。
この方々は、世襲や株仲間という一種の「権利」によって地位や生活が守られた人たちです。
おカネの価値が変わるたびに、労使で賃金交渉をしていては、
本業の手が止まり、かえって生産(=収入)が悪くなるような気がします。
「弱い労働者」から「強い労働者」へ
本書で「労働者」は「弱い存在」であるという前提で書かれています。
その前提であるならば、労働だけではなく、
- 貧困対策は企業ではなく国が直接行う
- 食料輸入の規制緩和
- 国内インフラサービス(特に電気・水道・ガスなど)の低料金化
- 給与所得以外の所得、事業所得、利子所得の稼ぎ方の教育
など、労働者に対して労働以外の生きるオプションを授けておき、
「強い労働者」にしておくことが、肝要だと考えます。
(強いというのは、給料が少なくても生活できるという意味)
「強い労働者」であれば、「お前なんかやめちまえ!」と怒鳴られたときに、
「そしたら辞めますわ」と、キレイさっぱりやめられるのではないでしょうか?
労働とは別に稼ぐ力があり、生活費が安ければ、体を壊してでも、
その職場にとどまろうと考える人はいなくなるでしょう。
【参考文献】
飯田泰之 歴史が教えるマネーの理論 ダイヤモンド社
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