果たして集団の知恵か?合成の誤謬か?
最後の「訳者あとがき」に、本書のまとめがなされています。
"集団の知恵を活用するには、集団を構成するメンバーの多様性、
独立性、それに分散化が備わった集団に加えて、
集団のメンバー個々の意見を一つに集約する仕組みもなければならない"
インターネットが生活に浸透する前では、
集団の知恵を活用するなんてことは、ごく限られた特権階級の方が、することだったと思います。
ですが、facebookやtwitter、Googleの検索技術を見ていると、
市井の個人が、行っても決して不思議なことではありません。
「みんな」という言葉は、良くも悪くも使い勝手のいい言葉です。
この言葉と合わせて「民主制」・「共和制」・「独裁制」という
言葉が、引き合いに出されます。
ですが、著者が言う「みんな」とは、
「市場」という言葉に要約されています。
そして、その「意見」を最も集約したものが、「価格」です。
Tokyo Stock Exchange / Dick Thomas Johnson
雑多で、自分勝手で、偏狭な意見を組み合わせると、
なぜか最適な意思決定ができます。ビジネスでよく使われるマネジメントという用語を、
日本語訳すると、「人為的な資源配分にもとづく意思決定」と訳すことができます。
「みんなの意見」による意思決定とは対極的な概念にあるように思えます。
もちろん「市場の失敗」もあるので、
全ての価値判断を、「市場」と「価格」で、決められることはできませんが。
社会心理学や行動経済学の知見も、紹介されていますが、
大学1年生が使うミクロ経済学のテキストを理解できれば、十分に読めます。
【関連エントリ】
教養としての経済学 生き抜く力を培うために
【参考文献】
ジョン・マクミラン
市場を創る―バザールからネット取引まで (叢書“制度を考える”)
ポール・クルーグマンクルーグマン ミクロ経済学
N.グレゴリー マンキューマンキュー経済学〈1〉ミクロ編
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